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4月26日(金)
●リメンバー・チェルノブイリ・デー
1986(昭和61)年、ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生しました。人類史上最悪の原発事故で、周辺の地域に大量の放射能がまき散らされました。今でも周辺地域には後遺症に苦しむ人たちがたくさんいます。
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須坂新聞調査隊3


須園と須商の甲子園出場選手の今は?

 ことしの高校野球長野大会は松本工業の劇的な初優勝で幕を閉じました。きょうからはいよいよ甲子園で熱戦が始まり、開幕戦で松本工業が登場します。地元球児の活躍は郷土を熱くさせてくれます。須坂市内からも昭和45年に須坂園芸、46年に須坂商業が連続で出場し、大いに盛り上がりました。あれから約40年、当時の選手たちは今、何をしているのでしょうか?
 須坂園芸は昭和45年の県大会で岡谷南を5―0で下して優勝。同校は大きな実績はなく、前評判も高くありませんでしたが、前年まで現佐久長聖監督の中村良隆教諭が監督を務めて基礎を築き、基本に忠実なプレーとチームワークで勝ち進んで周囲を驚かせました。甲子園では1回戦で平安(京都)と対戦し、0―13で敗れました。
 選手は卒業後、主戦の牧野元茂さん(長野市)は長野松代総合病院に、主将で遊撃手の矢島清史さん(小布施町松村)と左翼手の湯本春一さん(山ノ内町)、中堅手の角田栄二さん(中野市)は北信総合病院に就職して、軟式野球部で活躍しました。
 また、捕手の滝沢忠雄さん(須坂市西町)は20歳の時に1年間、母校の監督を、その後も須坂シニアの監督やコーチを務めました。関野芳秀さん(須坂市上八町)は現在、須坂市少年硬式野球連盟の副会長で、リトルのコーチを務めるほか、早起き野球チーム「上八町野球部」の監督もしています。
 甲子園出場メンバーを中心に「甲子園会」をつくり、毎年1回集まって親ぼくを深めているそうです。ことしも2月に高山村の山田温泉で開き、中村監督を含めて約20人が集まり、思い出話などに花を咲かせたそうです。
   ◇    ◇
 須坂商業は昭和46年の県大会で長野吉田を4―1で破り、優勝しました。同校は松野正人監督の下、強豪校としてそれまで決勝、準決勝に進出するもあと1歩届かずにいましたが、ついに悲願を果たしました。甲子園では1回戦で今治西(愛媛)と対戦。九回表まで3―2とリードしていましたが、裏に2点を奪われ、惜しくも敗れました。
 その後、多くの選手は銀行に就職し、左翼手の村石広司さん(須坂市屋部町)や三塁手の吉沢徳明さん(小布施町六川)らは、しんきんの軟式野球部で活躍しました。村石さんは現在は早起き野球チーム「千鳥寿司」の代表をしています。捕手の滝沢栄さん(長野市若穂綿内)は軟式野球の「綿内少年野球クラブ」の監督を務めています。
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 須坂園芸、須坂商業ともに、そのほかのメンバーも卒業後は早起き野球でプレーしたり、少年野球を指導するなどして、青少年健全育成とともに、自身の経験を子どもたちに伝えるなどしました。
 地元高校野球部や少年球児に対して、滝沢忠雄さんは「普通の選手だった私たちが甲子園に出場できたのだから、須高地区には少年硬式野球連盟などの体制も整っているので、ぜひまた甲子園に行ってほしい」。
 村石広司さんは「須高地区の人はあの栄冠を再びと願っている人が多いのでは。まだまだ公立高校にも好機はある。地元の球児が地元の高校で甲子園に出場してほしい」と話してくれました。

 

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