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旧・須坂劇場 姿消す~文化の殿堂 地域の記憶に(2015.09.26)

 大正3(1914)年に建てられた旧・須坂劇場が取り壊され、今後は宅地開発が進められる。

 製糸業が盛んだった当時の建築から100年が経過。時代の流れとともに、『劇場通り』の由来となった建物は消えた。
 須坂劇場は東京・歌舞伎座にも引けを取らない回り舞台と両花道を持つ1,000人収容の常設芝居小屋(定小屋)。中村吉右衛門一座をはじめ、長野市松代町出身で日本初の新劇女優・松井須磨子など、多くの芸能・歌舞伎一座が来訪した。 昭和25年に常設の映画館「須坂映劇」に改称。美空ひばり、舟木一夫、西郷輝彦ら人気歌手や落語家などの興行が次々に催された。昭和52年に閉鎖され、その後は改装されてスーパーマーケットになったが、ここ最近は空き家になっていた。
 劇場通りで食堂「東京庵」を営む木村高夫さん(74)は須坂映劇になってからのことを懐かしむ。「いろんな有名人が来て、カツ丼を楽屋へ届けた。美空ひばりの時が一番多くて120食。あの時は8食ずつバイクで次から次へと運んだ。無声映画がはやった時代は、バイオリン弾きの父(豊さん)が、同じ町の徳永さんという弁士と、劇場に専属で出演していたようだ」。
 また、劇場の斜め前で営業する御菓子処「つたや本店」の田中孝芳さん(62)は「入り口に映画ポスターが何枚も張られ、中央に大きく模写したポスターが飾ってある光景を思い出す。子どもながらに初めて触れた芸術だった」と、幼い頃の記憶を思い起こした。
 建物は消えても須坂の隆盛に欠かせない「須坂劇場」の記憶は、これからも地域に語り継がれていく。

 

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